信仰とセクシュアリティ

『LGBTとキリスト教 20人のストーリー』という書籍が刊行されました。私のインタビューも掲載いただいています。

今日は、信仰とセクシュアリティ、ということについて書いてみたいと思います。(長いです)

 

LGBTQと医療をテーマとした、講演や執筆でたくさんお仕事をいただくようになりましたが、これまで断り続けていたのがキリスト教関連の講演・執筆でした。

教会でかなり強いトラウマのような経験があり、クリスチャンの前でセクシュアリティのついて話をすることを想像すると、足がすくむような気持ちになり、その役割は果たせないと思ってきました。

『LGBTとキリスト教 20人のストーリー』は、セクシュアリティと信仰について一番悩んでいた時に、話を聞いていただき希望をみせてくださった牧師の平良愛香先生が監修されるとのことで、思い切ってインタビューをお受けました。

自分の葛藤を文字にしていただいたことで、私の恐怖の壁は少し崩れました。

 

私は25歳の時にプロテスタントの教会で洗礼を受けました。

教会に通い始めた時に、当時付き合っていた女性のパートナーと別れました。何故なら、同性愛者でありつつ、教会に通うことはできないと思っていたからです。

そう思ったのには理由があります。

幼稚園、中高とミッション系の学校に通っていたので、信仰をもたないときから教会に通うことには慣れていました。そして、教会の説教で時折、「同性愛は不道徳だ」といった話を耳にしていました。「最近はゲイであることを公表しながら牧師を名乗る人もいてけしからん」といった話も聞いたことがあります。

自分が同性も好きになると気付いてから、こういった話を教会で耳にすると、ああ私は教会でも受け入れてもらえない存在なのだなぁと感じ、そこに座っていることに恐怖を感じて背筋が冷たくなっていました。

 

でも、同時に、私の周囲にいるクリスチャンの友達たちの、芯が通っていて揺るぎなくまた温かい姿に、憧れを抱いていました。

 

ある時、私はこのままではダメだ!と強く思う出来事があり、それから教会に通うようになりました。自分は変わる必要があると感じていて教会に通いたいことを、当時のパートナーに話をして、教会では同性愛は認められないと説明し、別れることになりました。事情を知っていた彼女は、「頑張れよ」と送り出してくれました。

 

当時は信仰を強く求めていたので、自分は生涯パートナーを得ることは諦めようと思っていました。しかし、そうはいきませんでした。数年後に心ひかれる人が現れて、付き合うようになり、非常に強い葛藤を抱くようになります。数年の間、自分のセクシュアリティはひた隠しにして、深い罪をおかしながら、周囲の人をだましているような気分で教会に通っていました。

 

そして、葛藤がいよいよ深くなり、精神的に不安定になってきた時に、教会の先輩に思い切ってセクシュアリティのことを相談しました。結果、「清く生まれ変わって欲しい」と泣いて祈られました。”同性愛者の愛はすべて偽りであり、アルコール依存症の人にとっての酒のようなものである”といったことがずーっと書かれている書籍を渡され、これを読むといいよと言われたり、「ゲイであることをやめて自分はハッピーになった」と公言している牧師の話を聞きにいこうと誘われたりしました。

 

でも、直観的に分かっていることがありました。

 

”私は同性愛者であることをやめることはできない。それは選択できるようなことではない。私はそのように生まれたのだ。”

 

悩みに悩んで、それはとうに気付いていたことでした。クリスチャンである限り、同性愛者であることは深い罪であり、私はそこを抜け出すことができない。

信仰にとても熱心だった当時、これはとてもキツイことでした。

変わりようのないことを罪だとされる。人を好きになっても、その気持ちを一生抑え続けなければいけない、誰かと親密なパートナーシップを築くことを禁じられている。

 

当時の私の導いた結論は、私は死ぬしかないのかもしれない、とうことでした。

 

その後、うつ病を患うことになりました。

 

しかし、私を支えてくれたのも、クリスチャンの人たちでした。

 

逃げ出すように助けを求めて、平良愛香先生が牧師をつとめていた教会にこっそり足を運んだことが何度かありました。ある日の夕拝(夕方に行われる日曜の礼拝)では、出席した10名弱くらいの人が全員LGBTQであることを明かしていて、その人達と一緒に祈った時に、こんなに安心できる場所があるのかと驚き、涙が止まりませんでした。

 

そして平良先生が日本一リベラルと表現された孫裕久先生が牧師をつとめる戸出教会を紹介いただき、元々通っていた教会からは逃げ出し、戸出教会に通い始めました。

 

孫先生は、ある時の日曜礼拝の説教でこんなお話をされました。(記憶に頼って書いているので、記述が正確でないかもしれません)

”僕は同性愛を神様が禁じているとは思っていない。そんなことはないとは思っているが、万が一に神様が同性愛を罪だとおっしゃるとしても、戸出教会に集う私達の役割はここにその人を受け入れ、もし石を投げる人がいたならば、代わりになって石を投げられることです。目の前の悩める1人の人を助けることと、教会という組織の教義とが一致しないならば、ぼくは教義を破ってでも1人の人を助けることを選ぶ牧師でありたい。”

 

この説教を聞いて、本当に驚きました。

それは、まさに、「信仰と、希望と、愛、この3つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(コリントの信徒への手紙1, 13章13節)という聖句そのものでした。

 

私は信仰という刀により深く深く傷ついていましたが、孫先生は牧師という立場でありながら、信仰よりも愛が大切であるとうことを体現して見せてくださいました。

 

その後、教会に通うこと自体がきつくなってしまい、今は在宅クリスチャン(造語です)ですが、平良先生や孫先生がいなかったら、もっともっと回復に時間がかかっていたと思います。

 

うつ病になってから、およそ7年ほどカウンセリングに通いました。

 

そして、今は自分はこのままでOK。神様は私をあえてこういう風につくったのだと信じることができるようになり、自分はバイセクシュアルかつクリスチャンだと胸を張って言えるようになりました。

 

また同性愛者を異性愛者に”治そう”とする治療はコンバージョン・セラピーと呼ばれていて、その王道が既に述べたような「同性愛は酒のようなものだ」というカウンセリング療法だということも学びました。今ではコンバージョン・セラピーは科学的な根拠がなく、有害事象(うつや自殺企図など)が増えると報告されていることを知り、自分に起こっていたことは、西欧ではかつて多くの人が強制されていたことであったと知り、その経験は講演などで役に立っています。

 

あの時、死ななくて本当によかった。

 

そして、私がLGBTQと医療についての学びを医学教育に広めたいと思えるようになった道のりには、とても温かくサポートしてくださるクリスチャンの医師の先生が2名いらっしゃいます。クリスチャンということは、出会った当時は知らず、後から知りました。

 

長くなりましたが、これが私の信仰とセクシュアリティの歴史です。

 

信仰をもった当初は、自分の強味を活かして信仰者として生きていくぞ!くらいに思っていましたが、実際には自分が最も弱みだと思っていたセクシュアリティが活かされています。泣きながら何度も祈った「なんで神様あなたは、私をこのようにつくられたのですか?」という問いには、思いがけない形の答えが用意されていました。

 

この投稿を読んで傷つく知り合いの方がいたらごめんなさい。私はまだ以前通っていた教会の人と怖くて会うことができていませんし、そんな弱さをいつか克服できる日がくるようにと、祈ることさえまだできません。それが私の現時点での到達点です。いつか笑って話せたらいいな。

 

神様がこれから私をどこに連れていかれるかは分かりませんが、私がたとえ離れようと思っても、見捨てることなく見ていてくださって、そして用いてくださることに感謝して、これからの道のりを歩んでいきたいと思います。

 

最後になりましたが、書籍のインタビューに声をかけてくださった市川真紀さんに感謝いたします。