姉が見せてくれた世界 ー私にとっての最強のアライー

本日、3年ぶりに姉一家がカナダから帰国します。まだ幼かった甥っ子たちは、きっと大きくなっていることでしょう。会えるのが楽しみです。

 

そんなタイミングなので、姉のことを少し書いてみます。

 

私達の源家族(父親、母親、姉、私)は、なかなか問題てんこ盛りで、「毎日がサバイバル!」的な雰囲気がありました。母は早くに他界し、精神疾患を患う父は親としての機能を果たすのは困難であり、祖母が面倒をみてくれていました。

 

そんな中、私は女の子であるということにどうも馴染めず、幼い頃から周りからどうも浮いていて、さらに思春期には同性愛者なのではないか・・・という気付きもあり、当時は未来が見えずに”お先真っ暗”と感じ、これまた大変でした。

 

いくつの時だったか忘れましたが、姉に「私は男の子も好きになることも不可能ではないと思うから、やっぱり頑張って男の人との結婚を目指そうと思う」と打ち明けたことがありました。姉は、間髪入れずに「あんた、それは不幸になるからやめな。絵理子は、女の子と一緒にいる方が絶対幸せになると思うよ。無理してもいいことないよ。」と言いました。まだ、LGBTという言葉もなかった時代のことです。

 

その後、姉はサンフランシスコの大学に入り、私が20歳の夏に、とにかく1か月遊びにこいと私を呼び寄せました。大学の寮のような施設も予約してくれて、語学学校の入学の手続きもしてくれました。姉は大学でセクシュアリティ論という授業をとっていて、私に英語の教科書を見せながらいろいろと教えてくれました。

 

さらに、私をカストロという歴史あるゲイタウンに連れていってくれました。

日本をほとんど出たことのなかった私にとって、道路一面に並ぶレインボーフラッグと、あちこちで手をつないでいる同性カップルの存在は、ぶっ倒れそうになるぐらい、泣きそうになるくらい、衝撃的な光景でした。

 

私も当時、京都大学で始まったばかりのジェンダーセクシュアリティ論というゼミをとっていて、サンフランシスコで調査のようなものを行いました。サンフランシスコに住んでいる年数が長くなると同性愛嫌悪が減るのかを知りたかったのです。へったくそな英語で勇気を振り絞って、公園にいる人たちに話しかけ、英語の質問紙に30人くらいに回答してもらいました。

今思い返すと、研究としてはまったく成り立っていませんでしたが、私の原点はあそこにあるように感じています。

 

その後、姉はカナダに住むようになり、ある日、「絵理子はTwo-spiritだと思うんだよ」と言われました。Two-spiritとはカナダやアメリカの先住民族の間で認められてきた、女性と男性の魂両方をもつ人達のことです。その場に父もいて、「僕もそう思う」と言っていました。

 

「あなたにとって、アライとは?」と聞かれると、まず姉の顔が浮かびます。

同性愛がまだからかいの対象であり、タブー視されていた時代に、私が自分のことを否定しても、姉はいつも私のセクシュアリティをそのまま認めてくれました。そして、未来が見えなかった私に、女性二人のカップルでも幸せに暮らしている人がたくさんいるサンフランシスコという世界を見せてくれました。

 

名前と顔を出して、セクシュアリティをオープンにして活動することについて、父と姉に相談した時も、まったく問題ないし頑張ってとの返事をもらいました。

 

家族のことにとても悩んで暮らしてきましたが、同じくらい家族に助けられて暮らしてきました。

 

セクシュアリティのことで、家族と関係がよくないという友達は少なくありません。

 

姉が私にしてくれたように、セクシュアリティのことに限らず、私も誰かにとってのアライ、支援者でいたいなと思っています。

 

ところで、我が家に仲間が加わりました。ミケ子です。ミケ子については、また改めて紹介します。

ピアと新しい仲間のミケ子の日向ぼっこ