年賀状を整理しながら思いふける"幸せのカタチ"とやら

環境問題に関心を持ち始めた2021年の暮れ、紙と輸送エネルギーを使う年賀状を出すかをさんざん迷い、最終的には友達のお子さんたちが成長した写真を見たい!という気持ちを抑えきれず、年賀状を出しました。

 

今日久々にゆっくりする時間をとれたので、年賀状を見ながら住所リストの整理をしつつ、送られてきた年賀状を一つ一つ読み返しました。

 

やんちゃだった友人(今はどうなのか知りませんが・・・)がお子さんに囲まれて笑っている写真や、恩師からの言葉、一人暮らしの先輩が手書きで書いてくれたメッセージなどを読みながら、ほっこりした気持ちになりました。様々な生活をしている人がいるんだろうけど、みんな幸せだといいな~と思いました。

 

そのまま、ぼーっと昔のことを思い出しました。

 

私は姉と二人姉妹で、(おそらく)アルコール依存症だった母と、統合失調症を患う父とに育ててもらいました。日常生活はまったく安定しておらず、それでも幸せだったのですが、10歳の時にクモ膜下出血で母が突然亡くなって、父の病状が悪化し、本当に嵐のような日々が続いた時期がありました。父が数か月間失踪した後、警察から連絡がきて沖縄まで祖母が迎えにいったこともありました。小学生だった私は精神的に不安定になり、押入れに閉じ籠って寝ていた時期もありました。1人で布団に顔を突っ込んで、「私は絶対に普通の家庭を作って幸せになるんだ~」と叫んで泣いたこともありました。

 

で、今。

同性のパートナーと二人で住んでいます。

 

あまり「普通」ではない家庭になりましたが幸せです。

 

子ども時代はそこそこハードでしたが、早い段階で「人を羨んでもどこにも行けない」ということに気付かせてもらえたのがよかったと思っています。

 

家が荒れまくっていた頃、中学受験をして東洋英和女学院という学校に入学しました。東洋英和にはびっくりするような資産家のお子さんがたくさんいました。そんな子たちと交流して感じたのは、「この子達はお金持ちそうだけど、性格がよくて優しくて、ガツガツしていなくて、余裕がある。私が家のことを理由にぐれたりしても、何の得にもならないし、徳の高そうなこの人達から離れていくだけだ」ということでした。よくドラマではお金をもっている人は嫌味な人として描かれていますが、私の前に広がった現実はそうではありませんでした。

 

東洋英和でできた友達たちと交流する中で、友達のお母さんが毎週ご飯を食べさせてくれたことがありました。「うちは3人子どもがいるから、えりちゃんがいてくれても、作る手間はまったく変わらないのよ~」と言っていただき、何も考えず毎週通っていましたが、今振り返ると何とありがたいことだろうと思います。また、年末年始はいつも親友の家で年越しをしていました。その友達の家では親せき会にも毎回ちゃっかり参加させてもらったりもしていました。

 

そういう何のお返しもできないのに、大切にしてもらうという経験をしていくうちに、誰かを羨んでも何も生まれない、私に与えられた人生をなるべく善く生きようという気持ちが育っていきました。

 

同性愛者として生きていくことを覚悟した20歳の時、父や祖母にカミングアウトし、「だから私は子どもを持たない人生を送るんだ」と宣言しました。その時に、幼い頃に描いていた”普通の家族”を自分は持てそうにないけど、それが自分の生き方なのだと腹を括りました。

 

若い頃は、一体自分の将来はどうなっていくのだろうと不安がありましたが、2022年の今、昔には想像もできなかったような毎日を送れています。杏奈と私の家族みんなが、私達のことを知っていてくれて、受け入れてもらえている、そのことだけでも本当に奇跡のようです。ここまで来れたのは、家族や友人、そして友人の家族が温かいものをたくさんくれたからだと感じています。血のつながった親は2人ですが、実際にはたくさんの人に育ててもらいました。いただいたものを今度は、私が、私達家族が誰かに伝えていきたいです。

 

また、最近は同性カップルでも、様々な形で子どもを持つ選択肢がもてるようになってきました。それはとっても素晴らしいことで、どんな家族もより暮らしやすい日本にしていきたいと思っています。

 

そんないろんな歴史と感謝を込めながら、杏奈と二人の写真の入っている年賀状を作りました。2022年、皆さんにとっていい一年になりますように。

 

最後に、今日のピアちゃんを載せます。少しリラックスしてきたようで手の緊張感がなくなってきました。

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朝のピアちゃん